きみの名はまぼろし

無節操なオタクゴトの書き溜め。懐古。

ジムノペディが聴こえる。

 

きっと、夢なのだろうと思った。

 

夢だから。こんなに悪い夢だから。早く醒めてくれと何度も思っている。

 

何度も、何度も、何度も、何度も、

 

心臓に杭を打ちつけられる感覚が、警報みたいな耳鳴りが、まともな判断をさせてはくれず、まだ今も、白昼夢のなかにいる。

 

当たり前のようにそこに在ったはずが、はなびらみたいに手の平をすり抜けていく感覚を、わたしは、わたしたちは、幾度と無く知っていたはずでした。

 

内の脱退。本人の、誰にも擁護は出来ない不始末。

あれから11年が経ち、みんなが7人の関ジャニ∞を当たり前だと擦り込まれて生きてきた中での岐路。しかも、自担。

 

もっと不誠実に、いきなりツイッターでも始めてくれたらよかった。しれっとレギュラー番組から消えて、名前をタブーにして欲しかった。

 

どうしてあなたは、あなたたちは、7人で居る最後まで、かっこいいんだ。

 

最高の終わりです。

そう思うことはきっと誰かにとっては心苦しい話なのかもしれないけれど。

 

10年以上前、よこやまくんとむらかみくんの隣がとうまくんだった頃。辞めちゃうのかな、もうテレビで観られないのかな。幼少期のわたしは思っていました。

 

ちょうど10年前、件の週刊誌事件がありました。J-Rockのお知らせは公式から消え、もうダメだ。そう思いました。事実か否か、そんなことは問題ではなくて。当時の彼では事務所に守ってもらえないだろうと勝手に決めつけて諦めていました。

 

何度も諦めて、けれど何度もまたわたしの前に姿を現したその存在は、もう充分に、アイドルをしてくれました。

 

アイドルなんかになってしまって、辛いことや悲しいことで押し潰されて、アイドルというだけで毛嫌いされて、歌もちゃんと聴いてもらえなくて、でもちゃんと、笑わなければいけなくて。

 

すばるくんにはアイドルなんてせかいは狭過ぎるなあなんて思っていたけれど、もしかしたら、日本も、地球も、宇宙さえも、狭すぎるのかもしれないね。

 

本当に、本当に、これからも、応援しています。

本当に、本当に、わたしが信じているのも、幸福を願うのも、崇拝者となるのも、無条件に選ぶのも、あなただけだよ。

 

いままで、アイドルで居てくれてありがとうございました。

これから、どんな表現者になっていくのか、楽しみにさせてください。

 

みんなは、残された6人という表現をするけれど、何も、誰も、残されてない。

 

同じように、同じ歩幅で、いつも7人は歩いてきたし、歩いていくはずなわけで。

右か、左か。14年半交わっていた道に突然わかれ道が出来たって、つまりそういう話なわけでね。

 

ずっと交わっていて欲しかったなあ。

 

背中を押せるファンでいたいです。

もうずっと、オタクのエゴで理想のアイドル像を押し付けていたから。

アイドルとしての最期は、笑顔で見送りたいです。

 

矛盾だらけで、我ながら気持ちの悪いブログ。

 

 

ジャニヲタ10年選手である私が声優を追い始めた話

 

ジャニーズの魅力はいったい何なのか。そう問い掛けられた際、夢を見させてくれるから。と返すことが正解なのだろうとようやく気付き始めた。

私がジャニーズの存在を知ったのが今から16年前。当時はジュニア黄金期と言われ、後の「嵐」、「タッキー&翼」、「関ジャニ∞」など現在多くの支持を得る彼らが切磋琢磨し、また新たな時代を作り上げていく最中であった。

そこで当時小学校にも上がらない私へ多大な影響を及ぼしたのが「渋谷すばる」である。二宮和也さんとのダブル主演ドラマ「あぶない放課後」のPRの一環としてアイドル誌の表紙を飾ったふわふわパーマの大きな瞳に心を奪われたのだ。

当時18歳であった渋谷さんが今年34歳になる。まともに数を数えることも出来なかった私も気付けば成人し、丈の短いスカートの女子高生を細めで眺めるほどにまで歳を重ねていた。

 

前述のとおり、飽き性な私がただひたすらに十年以上「渋谷すばる」、「関ジャニ∞」を追ってきたのは夢を見させてくれるからである。スポットライトの下で舞い踊り、広いステージで足を踏みしめながら高らかに歌い、かと思えばまるで友人のように屈託ない笑顔や涙、おちゃらけた姿を見せてくれることにいつしか彼らとの距離をはかりあぐねていたのかもしれない。

 

完璧主義なわけではない。男前やイケメンが好きかと問われればイエスと答えるが、かと言ってそれが全てかと言われるとそうではない。歌って踊るという傾向へ固執していたわけでもないのだ。ただ、類は友を呼ぶという言葉そのままに、周囲にはジャニヲタばかりが私に新たな「Kis-My-Ft2」や「関西ジャニーズJr.」という沼を当然のように提示し、いつしかジャニーズ沼の住人となっていた。

 

そんな私に転機が訪れた。この出会いを“電流が走った”と例えてみるのも良いかと思ったが、少なくともそんなことは1ミクロンもない。ぬるっと。喩えるならば真綿で首を絞めるようにゆっくりと存在をアピールしてきたのだ。

小野大輔」である。漫画を読むには相当の時間を費やさなければならない私が中学時代唯一熱中した漫画「黒執事」。思えば、中学校の終わりから現在にかけてまで交流のある友人が鈴木達央を好きだったという話から黒執事のイベント映像を見てみようと思い立ったことが始まりだったかと思う。

アニメといえば「ドラえもん」、「クレヨンしんちゃん」、「忍たま乱太郎」など子供向けとされるものしか見てこなかった私にとって、ドラえもんドラえもんで有るし、野原しんのすけは野原しんのすけなのである。中の人という概念すらも存在しない。ドラえもんドラえもんであって、大山のぶ代ではないのだ。奴は青い猫型ロボットである。人間と相容れることはまずない。

アンダーテイカー役の諏訪部順一さんの登場には少なからずの興奮を覚えた。何と言ってもアンダーテイカーなのである。容姿は似つかなくとも、そこにあの葬儀屋が存在していると錯覚させたのだ。その諏訪部さんに紹介され次々に客席から壇上へと向かう声優陣。友人の好きな鈴木さんは動画のほうがよっぽど男前だと、きっと声優にハマるのであればきっと彼だろうと確信し、当時リア恋並の熱量を向けていたセバスチャン・ミカエリスの登場を待った。それほどまでにキャラクターを好いていたからだろうか。多くのファンにお叱りを受けることは覚悟の上、初見時の感想を述べたい。「コレがセバスチャン…?」である。石が投げられても仕方が無い。今私の身近でそんな発言をしようものなら真顔無言で小野大輔最強盛れてる天使画像を100枚程送りつけるところだ。しかしながらわかってもらいたいのは、二次元と三次元の区別など上手く付けられなかったあの時代の私に、悪意など微塵もなかったのだ。

 

そんな小野大輔との出会いが今から4年前のことである。その当時私は韓国のスーパージュニアというグループに大層お熱で、黒執事という作品のいちファンではあり続けたが中の人、小野大輔には何らの興味も示さなかった。

アイドルが好き!ジャニーズが好き!コンサート!グッズ!なんてのも落ち着き、このままオタクというジャパニーズカルチャーから足を洗おうか、そんなときである。アニメにハマったのだ。専門学校で出来た友人、実兄からの洗脳である。「氷菓」、「変態王子と笑わない猫。」、「恋と選挙とチョコレート」、「ゆるゆり」。趣味丸出しのラインナップであるが、何を隠そう私は可愛い女の子が大好きです

そこからはまるで転げ落ちるみたいに加速していったのである。これを私はクレイジーアクセル現象と名づけたい。

専門時代の友人らとカラオケに行けば「マジLOVE1000%」が流れ、宮野真守氏の楽曲が流れる。ST☆RISH面々の肩幅が気になると笑っていた私が、今ではすっかりセシル担になっているのだから世の中何が起こるかわからない。元はジャニヲタである。まさか二次元でまでアイドルを推すとは夢にも思わなかった。

今となっては曖昧だが、何故か友人らに問いかけていたのだ。知っている名前が数えるほどしか居なかったからかもしれないし、あの日見た最後の晩餐がふと思い出されたのか、それは定かでない。しかし私は確かに問いかけたのだ。「小野大輔が出ているアニメでオススメはないだろうか。」これが今に至るまでの声優クラスタ活動のきっかけであることはまず間違いない。

「デュラララ」、「WORKING!!」を薦められ帰宅後から夜通し見続けた。最高である。デュラララの世界観、WORKING!!のありそうで有り得ない日常、兄から薦められた「K」の抜刀シーンは何度も繰り返し見た。そこで思わぬ援護射撃があったのだ。小学校時代からの付き合いで、一時は相方という関係の中ジャニーズのコンサートへ共に通っていた安田担であるはずの友人から、「BROTHERSCONFLICT」というアニメが今日から始まるんだけどそこにおのでぃが出てるよ!昴君だよ!というメールである。グッジョブ、相方。やはり君は最高の相方だったよ。こうして奇しくも自担と同じ名前の役を演じた小野大輔の沼にいつしかどっぷりと浸かっていったのである。

 

今では小野大輔に飽きたらず「羽多野渉」や小野さんの相棒である「近藤孝行」にもかつて自担と呼んだアイドルと同じようで少し違った形の熱を向けている。

ジャニヲタを断ち切ることは出来ずにいるが、全く違った性質を持つ両者を、これからも器用にマイペースに応援していきたい。